2009-11-13

Conservatism and Progressivism

先日、アメリカのテキサス州サンアントニオで開催されたCSWE(Council for Social Work Education)の年次大会に参加してきた。アメリカのソーシャルワーク関係の学会としては最大規模の学会で、基本的には教育者のための学会なんだけど、この大会に便乗してその他の小さな学会が年次大会を共同で開催するので、例えば僕が会員のACOSA(Association for Community Organization and Social Administration)もこの時に一緒に大会を開催している。今回、本当は自分の研究の報告をしようともくろんでたんだけど、ちょっと今年はいろいろと余裕がなかったのでとりあえず参加してきただけでした。
これまで、日本やその他の国際学会に参加して発表してきたけど、今回は初めてアメリカの学会に参加してみて、いろいろと考えることがあった。あまりコミュニティ・オーガナイジングに関係ない内容になってしまうかもしれないけど、ちょっと思ったことを書き連ねたいと思う。
大会ではコミュニティ関係の報告を中心にいろいろな報告を聞いてきたんだけど、報告の内容が日本のものと全然違うことに驚いた。この言葉がぴったりくるかわからないけど、全体的に報告内容が「革新的」だった。英語でいうところのprogressiveというかんじ。日本の学会に慣れているからそう感じたのかもしれないけど、それにしても報告の内容も、参加者から出る質問やコメントも含めて、全体的に革新的な気風が充満していた。ここでいう革新的とはどういうことかというと、平たくいうと、細かいことにこだわらずに、ビジョンを提示するようなものが多かった。もしくはプロジェクトとか新しい実践なんかに取り組んでいることについての報告的なものが多かった。それに対しての質問やコメントも、欠点を突くものや、細かい定義や先行研究について問いただすものではなくて、そうしたビジョンを共有したい、その報告から何かを学びたい、一緒に何ができるのか考えたい、というようなものが多かった。つまり、報告の場が、何か新たな方向性をみんなで模索する場になっていたと思う。もっといってしまうと、知識の海に溺れて自己満足的な研究よりも、何か具体的な行動が伴うような内容が多かった。
これに対して日本の学会報告は、あくまでも僕の私見だけど、知識の海の中に溺れているものが多いように感じる。同じくらいの時間で、同じように報告してるんだけど、それは情報を並べているだけにすぎなくて、特に方向性を生み出すような内容ではない。「だから何がいいたいの?」みたいな。まさに自己満足の世界。いろんなことを緻密に整理して、盲点がないように先行研究をしっかり調べて、正しいことを正しい言葉で伝えることに一生懸命というのかな。まぁ、ちょっといいすぎかもしれないけど、そういう風潮があることは間違いないし、そういう性格を満たしている研究ほどいい研究として取り上げられがちだと思う。「研究」=「正しいことを正しい形で表す」というかんじ。だから、全体的に研究の世界が保守的になってしまう。
でも、そんな日本の研究のいいところは、地に足がついた研究が多いところだと思う。妥協していないというのかな。最低限のクオリティが担保されているというか。最低限のマナーを守ることが重要視されるというか。その分、大風呂敷を広げることが難しいし、大風呂敷を広げる研究が少ないと思う。
一方、アメリカの研究は、なんだか「軽い」と感じてしまう内容が多かった。根拠が薄いというのかな。基礎研究を怠っているものが多いように感じた。(ただし、CSWEは教育関係の学会だから、研究よりも教育にフォーカスがあるということも影響していると思う。)
ということで、そうした日本とアメリカの研究を概念図に示してみた。

ちなみにこのブログは「文字のみ」を売りにしてきたんだけど、今回は禁断の図を使うことにしました。
この図は「知識」の発展を示しています。研究っていうのは「知識」を扱っているわけだけど、その「知識」は人類がこれまで培ってきたもので、研究者のみならず、現在生きている人間が知識の海を少しずつ少しずつ広げていくことで発展していっているわけで、その海を人類にとって有意義な方向に少しでも広げることが研究者とか思想家とか、学者の使命だと思う。もちろん、知識を扱うことを専門にしていない人たちが知識の海を広げることも少なくない。ただし、海を広げるためにはその海をよく理解することが求められるから、いつのまにか知識を扱うのは限られた人の仕事になっているようにも思う。
そこで、これまでに培われてきた知識を図のX、それが有意義な方向に発展したものをYとする。そうした知識を取り扱う研究者たちを青い円だとすると日本の研究者たちはそのXに向かって研究をするものが多いと思う。つまり、Xをしっかり理解することが重要視される。これまでに培われてきた知識を理解することやより緻密に理解することが重要になる。でも、その研究は、結局Xの中の話で、どこにも向かっていかない。
アメリカの研究はというと、オレンジの円のようにXから飛び出したところを目指す研究が多いと思った。新しいビジョンを提示するようなものが多い。その代わり、その方向性は多岐にわたるため、全く正反対のことをいう人たちもいる。でも、それでいいんだよね。お互い、そういう異なる考えを尊重して、ひょっとしたらその研究の延長線上に目指すべきYがあるかもしれないという可能性を残している。だから、その研究の上げ足をとることよりも、そのビジョンを理解しようという態度で臨む。でも、なんだか軽薄だなぁと感じるのは、お互い、それぞれのビジョン(オレンジの円)がどこにも発展しない可能性を知っているから、あまりこだわらなくなっている。いつかは淘汰されるものだというような気風がある。悪くいってしまえば、結構みんな無責任に好き勝手言ってる感じ。ただし、そのビジョンが、結局知識の総体に対して大した影響を与えず消え去るとしたら、それはそれでむなしい。
つまり、日本の研究であっても、アメリカの研究であっても、どちらも、人類の発展にとってさほど有意義ではない知識の大量生産大量消費という風潮はあるのかもしれない。その形態が違うだけなのかもしれないね。
ただし、そうした研究の中でも知識の発展に貢献する研究が必ずある。それが図の緑の円のあたりだと思う。XをYに導くような研究。日本の研究者であっても、アメリカの研究者であっても、世界中の誰であっても緑の円のような研究(知識への貢献)をすることはできる。ただし、日本の研究者とアメリカの研究者ではアプローチが異なるんだろうね。
日本の研究者が緑の研究をする場合は、青い円の中に閉じこもる保守的な気風の中にいながらも、それを超える想像力をもち、殻を破ってビジョンを掲げることが求められる。アメリカの研究者の場合は、知識の海をしっかり把握し、地に足の着いた研究をして、その基盤に基づいてビジョンを示した時に、その他の研究を淘汰して最も有意義な方向性を示すことができるのだと思う。つまり、いずれのアプローチにしても目指しているところは同じなんだよね。あとは、自分を取り囲む環境を理解して、どのように人類に貢献するかということだと思う。
今回のブログは「知識の発展」について書いたけど、同じ考え方を一定の方向に「社会を動かす」ということにあてはめることもできるんじゃないかな。アカデミックの世界は、図のような関係が顕著に見えるけど、日本の社会全体を見ても、こうした保守的な風潮は共通すると思う。しかし、保守的な社会であっても、革新的な社会であっても、物事が変わるときには変わるわけであって、日米ではそのアプローチが異なるものなんだと思う。コミュニティ・オーガナイザーは、このように文化にあったアプローチをうまく使いこなさなくてはいけないだろう。つまり、アメリカにはアメリカの文化にあった進歩のアプローチがあり、日本には日本の文化にあった進歩のアプローチがある。でも、結局はどちらも大変なことだし、どちらも似たような道を歩むかもしれないよね。
余談だけど、博士論文ではアメリカのアプローチについて書いてるので、今後は今回のブログのような枠組みも参考にして、文化とコミュニティ・オーガナイザーの関係について考えていきたいと思います。

2009-07-15

All Star Game

久しぶりの投稿です。
今日は、メジャーリーグのオールスターゲームでした。年に一度、一試合だけの夢の球宴は、第80回目を迎え、今年もイチローらが所属するアメリカンリーグの勝利で幕を閉じました(なんでも13年連続らしい!)。
アメリカにすんでいたころはよく近くのバーで試合観戦をしていました。
日本に帰国してからはあまり観戦する機会がなかったんだけど、なんと今年は中継をしていたFOX sportsがインターネットを通して観戦できるようなプログラムを提供してくれたので、家で楽しく観戦しました。
試合内容も充実したものだったけど、それ以上にオバマ大統領の始球式に興奮しました。投球フォームはちょっとぎこちなかったけど、何とも人間らしい気持のいい大統領だなぁと思ったね。MLBのホームページでは大統領が試合前にロッカールームを訪ねて選手と交流している姿が映っているけど、選手たちと友人のように接する大統領の姿が印象的でした(選手の方がやや委縮していたかな、特にイチロー)。
さて、何でオバマ大統領が始球式に登場したかというと、今年のオールスターから野球のオールスターだけでなく、コミュニティのオールスターも祝福するという趣旨になったからです。
オバマ大統領になってからコミュニティで活躍する人たちを支援するためのプログラムUnited We Serveが設立され、そのサイトServe.govが開設されました。このサイトの目的は地域で活動するオーガナイザーやボランティア、起業家たちを支援することです。100年に一度の不況といわれている今日、かつてコミュニティ・オーガナイザーだったオバマ大統領ならではの取り組みだと思います。
世の中が不況になると野球などのスポーツや文化活動に対してお金を使うことや、世の中に存在する貧困を無視して派手な祭典をおこなうことに対して社会的な批判が上がることが少なくありません。でも、オールスターゲームを中止することで、失業問題や不況は解消されるのだろうか。不況だからといって国民的イベントを自粛することが、国民から歓迎されるだろうか。理にかなっていないとわかっていても、世論を気にして不況の時に大きなイベントを自制するという傾向があるように思います。もちろん、スポンサーがつきにくいということもあるしね。(日本プロ野球のオールスターも来年以降はスポンサーが決まっていないらしいし。)
しかしオバマ大統領は、このUnited We Serveがオールスターゲームと協力する形をとり、むしろ大々的にイベントを盛り上げ、さらに全米各地の活躍するオーガナイザーやボランティア、起業家たち30人を「私たちのなかのオールスター」として紹介しました。彼(女)らを球場に招待し、試合が始まる前にオールスター選手たちと共に紹介し、祝福しました。
いやぁ、なんていうのかねぇ、この発想の豊かさ。
改めてアメリカっていい国だなぁと感じることができました。ああいう気風をつくりだすことが何よりも必要。
コミュニティ・オーガナイザーとしての経験をもつオバマさんが大統領になることでアメリカはどのように変わるのかと思っていたけど、これからがますます楽しみだね。
コミュニティ・オーガナイザーが国のリーダーになることは、そう悪くないかもね。

2009-03-06

悩む事業(転載)

1年ぶりに書いています。いよいよ博士論文の執筆が大詰めなので、なかなかこのブログを更新できていませんが、たまには息抜きに。
以前僕が勤務していた、大阪府社会福祉協議会社会貢献事業というものがあります。この事業に関しては、研究論文で取り上げたりしたこともあるんだけど、その事業が5年間の助成期間を終えるにあたり、関わった人たちで文集を出すことになりました。僕は1年間しか働いていなかったんだけど、ちょっとした文章を書かせてもらったので、今回はその内容を掲載します。こうやって、以前はCO道で書いていたことが、他の媒体に掲載されるようになってきたので、これからはなるべくこちらにも載せたいと思います。テーマは「悩むこと」です。

『悩む事業』

2008年のベストセラーに姜尚中さんの『悩む力』という本がありました。近年、うつ病や心の病のことがメディアなどを通して日常的に取り上げられるようになり、それらの言葉が持っていた「病人」や「負け組」といったニュアンスが薄れてきたように思います。しかし、「悩む」という行為に対するネガティブなイメージは未だに払しょくできていないように思います。そうしたなか、姜さんが『悩む力』のなかで「悩む行為」のポジティブな側面に光を当てたことは、多くの人に勇気を与えてくれたことと思います。

なんでこんなことを社会貢献事業の文集に書くのかというと、私は、社会貢献事業と悩むという行為は、切っても切り離せない関係にあると思うからです。社会貢献事業は、基金によって経済的な支援を提供することや、制度の狭間といわれる課題に対して積極的に働きかけることで注目されてきました。また、コミュニティソーシャルワークという言葉の新しさから多くの人の関心を集めました。しかし私は、社会貢献事業がこれまでの社会福祉事業と異なる最大の点は、その事業が悩みながら進められてきたことだと思うのです。

私たちの生活とはジレンマの連続で、悩みに満ち溢れています。ですから、ソーシャルワークとはそうしたジレンマの上に成り立つものだと思います。例えば、「あなたは、家族と友人、恋人、仕事、お金、名誉のなかで何を一番優先しますか」という質問をしたら、人によってその答えは様々でしょう。また、同じ人でも時と場合によって違った答えを選ぶかもしれません。人間の価値観とは多様なもので、また時間とともに変化するものです。

だからこそ、私たちの生活はそうしたジレンマに満ちていて、私たちは日々そうした悩みを抱えて生きているのです。そもそも、そうした選択肢の中で優先順位を決めること自体がナンセンスかもしれません。しかし、私たちの人生には、何かしらのアクシデントでそうした究極の選択を迫られることがあります。社会貢献事業が受けた相談の中には、クライエントが究極の選択を強いられ、にっちもさっちもいかなくなり、困った挙句、支援を求めて社会貢献事業に相談をしたというケースが多かったと思います。

私が社会貢献支援員として勤務させていただいたのは1年間と短い期間でしたが、その間にもたくさんのケースにかかわらせていただきました。要介護高齢者のケースや母子家庭、障がい者とその家族、疾病、虐待など、それらのケースが抱える主訴は様々でしたが、どのケースも多重債務や保険料未納、家賃滞納といった経済的な困窮を同時に抱えていることが多かったように思います。そして、それらのケースの多くは、基金を用いて経済的な援助を提供すれば解決するようなケースではなく、常に複雑に絡み合った家族関係と向き合う必要がありました。

社会貢献事業は、社会保険制度や社会サービスなど既存の社会保障制度では対応できない、制度の狭間のケースに対する新しい事業と考えられていますが、既存の制度と大きく異なる点があると思います。それが、「悩む」という行為です。

既存の制度は、悩む必要がありません。なぜなら、線引きが比較的明確だからです。「このケースは生活保護制度の範疇である」とか、「このサービスには介護保険が適応する」など、既存の社会保障制度は線引きがなされます。日本全国どこに行ってもおなじ社会保障制度を受けることができるわけですから、この線引きは必要でしょう。その代わり、とても機械的になります。そして、その線引きから外れてしまった当事者は、機械的にその事実を伝えられて終わりです。

社会貢献事業に携わって最も感動したことは、ものごとが機械的に判断されないということです。それでは、社会貢献事業が何を判断材料にしていたかというと、それは専門性だったのだと思います。就職時の研修に加え、定期的に開催される会議と研修、さらには実践を通した知識と技術の伝達、スーパービジョンと、社会貢献事業の中には専門性を高める機会があふれていたように思います。

それでは、社会貢献事業にとっての専門性とは何でしょうか。どのようにすれば限られた資源を駆使して事業が掲げるミッションを遂行できるかを熟考し、完璧な答えではなく、最適な答えを導き出すこと、そうした努力の中にこそ社会貢献事業の専門性が蓄積されるのだと私は思います。その最適な答えを導き出すためには、多くの知識と技術、ネットワークが必要ですし、創造力やあきらめない心、正義感、優しさなどが必要でしょう。そして、何よりも悩むことが必要です。悩むという行為は、悩むことを共有できる環境、一緒に悩んでくれる仲間、そうした悩みを通して専門性を高めていこうという意志によって可能になります。

社会貢献事業は、そうした悩む行為を丁寧におこなっていた事業です。ですから、事業を推進してきたスタッフの悩む力抜きには、社会貢献事業の成功は考えることができないと思います。また、社会貢献事業の援助を享受した人々は、相談援助や経済的援助に加えて、ともに悩むという援助を受け、自身の悩む力を醸成することができたのではないかと思います。

短い期間でしたが、ともに悩む時間を共有してくれた同僚の皆様にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。そして、社会貢献事業が、実践を通して示した5年間の悩みの蓄積は、日本の社会福祉にとってかけがえのない財産になったと思っています。これからも、皆さんとともに悩みながら日本の社会福祉を盛り上げていきたいと思いますし、悩む力をさらに広げていくことができるように尽力したいと思います。
ありがとうございました。