2006-06-06

Social Bipolarization

Economic Splitとも言えるのかな。最近日本で流行の格差社会。世界中の殆どの国では当たり前ですね。一応、たてまえとしては共産党政権である中国なんかは、世界一の格差社会かもしれないね。まぁ、地球がある意味最大の格差社会なんだけど、今日の国家形成の仕組み上、国家のサイズが大きければ大きいほど格差社会の度合いも大きくなることは自然なながれなわけで、あれだけの国土と人口を抱えていては、共産主義に希望を見出さざるを得なかったことは、誰しも納得いくことだと思うんだけどね。でも、ここまで経済的な競争力の強弱が、国民のQuality of Lifeに影響を与えるような国際状況では、たとえ国内に格差社会を築こうとも、国際競争に負けないような国家を築くことが、国の急務であって、国民も納得せざるを得ない風潮にある。まぁ,それが新・自由主義といわれてるけど。
だから、アメリカの若者なんかは、競争社会の根源として、世界銀行IMFに対して激しいプロテスト運動を続けているわけだけど、なかなか日本の若者で、そこまで世界的な経済状況に関して熱い思いを抱いている人は少ないようである。勉強不足ではないと思うんだよね。どちらかと言うと、無関心なんだろう。無関心だから、気がついたら、自分たちは「負け組み」のレッテルを貼られて、社会的に排除されがちだったりして。
ちなみに、大阪府は日本でも失業率が高く、生活保護世帯率の高さは日本トップクラスであることは周知の事実だと思うけど、その大阪府で、社会貢献事業を行っていると、そうした、格差社会の問題が顕著に表れていると思う。こうした格差社会の現実と毎日向き合っていると,個人単位での問題解決は焼け石に水のように感じてしまう。もう,そういう社会構造になってきているんだね。日本の福祉国家の崩壊というわけだ。(まぁ,そもそも福祉国家があったのかという議論はおいておいて。)
ちなみに,格差社会に対しての国家対策として、1960年代アメリカの,ジョンソン政権のにおける,「貧困への戦争(War on Poverty)」が挙げられると思う。Economic Opportunity Actに始まり、この時期のアメリカの貧困対策(人種差別対策でもあった)政策は,貧困地区における住民参加型の,地域の開発,つまり,住民が主体となった住宅や商業の開発というコミュニティ・デベロップメントの礎を築いたわけだ。これが,時代を経るにつれ,民間企業や金融機関とのパートナーシップも強化され,ひとつの貧困地区における,地域開発モデルとして確立してきた。こうした地域開発アプローチに対して,賛否両論ある。特に,近年では,規制緩和と民営化の流れのなか,貧困地区の地域開発の中心となってきたCDCがその力を弱めつつある。というよりも,そもそも経済的な競争力を売りとしていないために,民間企業との競争をさせられたら,元も子もないわけである。そういった意味では,政府に対してのアドボカシー機能の欠如は致命的なわけで,競争化の流れの中,小規模のビジネスが生き残っていくことなどは,困難であることは,近年日本中の商店街がなくなりつつあることを見れば一目瞭然で,CDCのような地域開発を目的とした非営利組織や,小規模のビジネスをバックアップするような連合体の形成が必要なのかもしれない。というか,アメリカの場合,連合体は存在するが,新自由主義の下,その発言力はすっかり失われてしまっているように思える。政府がAccountableと思っていると,こうして足元をすくわれてしまうわけだね。
一方で、貧困地区の地域開発が政府主導で行われ、連邦政府の予算を投入したことにより、新たな住民参加のあり方が確立したと言う見方もある。しかし、それが万能薬ではないことは今日のCDCの現状がものがたっている。
こう考えると、地域開発におけるオーガナイザーの役割としては,住民参加の仕組み作りと,政府とのつなぎ以上に,経済開発における,ローカル・エコノミーの仕組み作りや,さらには,住民教育などがカギとなってくるように思える。
まだまだ,勉強し甲斐のあるテーマだね。