2007-07-05

Dear Social Workers and Social Workers-to-be

2007年7月6日。京都の小さな部屋の片隅でこうしてブログを書き込めることは幸せなことだ。僕はこの部屋で寝て、起きて、飢えをしのぐことができる。夏は暑いけど、喉をうるおすことができる。冬は寒いけど毛布で身をくるむこともできる。こうして京都に住んでいる限り内紛に巻き込まれることはないだろうし(I hope!)、地雷を踏むこともないだろう。でも、地球上のどこかでは明日生き残れるか分からずにおびえながら生きている人がいる。
そこにはソーシャルワーカーがいない。いや、いるかもしれない。NGOのスタッフがいるかもしれない。
でも、ソーシャルワークが解決策として認知されるには至っていないだろう。
より強力な武器や、環境や人の生活を無視した経済開発こそが、解決策として受け入れられているように思える。
しかし、武器に対して武器を向けることは本当に答えなのだろうか。
開発が進んで、日本のように経済大国になれば、みな幸せなのだろうか。その答えは日本に住んでいる僕らが知っている。
日本に住むことは本当に幸せなのだろうか。頭では幸せに生きる方法はわかっているし、幸せな生活のイメージは持っているのに、実際に幸せな生き方を選ぶことができているのだろうか。
全く同じ議論が、内紛を起こしている国の人々にも当てはまるのではないだろうか。お互いの足を引っ張り合う生活ではなく、お互い助け合って幸せに生きる方法を選ぶことは難しいことではないと思う。でも、なぜか全く反対の選択肢を選んでしまう。
こんな簡単なことなのに、僕らはなぜできないのだろうか。
コミュニティ・オーガナイザー(ソーシャルワーカー)の仕事とはそれくらい簡単なことだと思う。
僕は、社会を変える実行部隊として、ソーシャルワーカーの役割を信じている。
何よりも、ソーシャルワーカーという職種が成り立っているということが、僕らに希望を与える。
つまり、ナイチンゲールマザー・テレサのように自分の人生すべてを投げ出して人のために尽す人物が現れるのをただ指をくわえて待っているのではなく、我々は社会の合意の下、ソーシャルワークという社会の機能をつくりだした。それは、何よりの成熟社会の証ではないだろうか。
次のステップは、ソーシャルワークがどれだけ本当に社会に役に立つのか、どれだけ社会を変えることができるのかを証明することだ。
別に統計学的に、証明しなくてもいい。ただ、人々が本当に幸せな人生を送れるように、しっかり考えて、しっかり支援しよう。そして、内紛や腐敗で苦しむ国々の人たちに、こうして平和に幸せに生きましょうという見本を見せよう。今のままでは、だれも日本人の生活を見本にはしないよ。
想像力豊かに、幸せな生活をイメージしよう。

2007-07-02

Renaissance

最近改めて感じることがある。開放(ルネッサンス)しなくてはいけない。
以前にも書いたかもしれないが、僕は中学校時代に不良の友人がたくさんいた。最近では不良という言葉は使わないのかもしれないけれど、当時は使っていた。
例えば、学校に行かなかったり、違反の制服を着たり、髪の毛の色を抜いたり、たばこ吸ったり、お酒飲んだり、パチンコ行ったり、けんかしたり、ぜーんぶ大人がすることを背伸びしてやりたいのが不良なのかもしれません。でもそれって、いたって健康なことだよね。不良というと、精神年齢が低いと思われるけど、僕からすれば、不良の生徒は他の生徒に比べて、大人の感覚を持っていたし、好奇心旺盛だし、行動力があるし、自立していたと思う。自分の行動を自分で決断することができる人間が多かった。ただし、世間一般には、中学生は「大人」の言うことを聞くべきであるから、そういった意味では「聞き分けのない子」=「精神年齢が低い」と思われていたと思う。
自分で言うのもなんだけど、僕も小学生のころから結構ませていたので、自然と不良友達がたくさんいた。
しかし、不良の一つの特徴として勉強ができない、または苦手というのがある。これは、学校に来ないことで結果的に勉強が苦手になるのか、勉強が苦手だから学校に来なくなって不良になるのかはわからないし、どちらもあるのだろうと思うけど、とりあえず勉強が苦手な友達が多かった。というか、苦手ではなくて、学校の成績が悪かった。どちらかというと、当時の教育方法が彼らには合わなかったのだと思う。
まぁ、そんなこともあり、比較的勉強が得意だった僕が、試験前になると不良仲間がいつもたまっているところで家庭教師のようなことをしていた。当時、家にあった旧型のワープロを駆使してドリルのようなものを作ったことも記憶している。
なんでこんな長いたとえ話を出したのだろうか。僕が言いたいことは、僕には不良仲間がいて、勉強ができたということではない。僕の存在は、確かに特殊だったかもしれないけど、そういう特殊な存在だからこそ、学校の先生にはできないことができた。不良の友人にとって、学校の先生は勉強を教えてくれる存在ではないし、自分たちの気持ちや考えを理解してくれる存在ではなかった。僕は、彼らの仲間であり、勉強を教えることができた。つまり、彼らにとって、僕は先生よりも役にたったってことだ。
それでいい。学校の先生はとても大事だし、僕には先生の変わりを務めることはできない。でも、先生にできないことが、僕にはできたってこと。それでいい。
人は多様な存在で、それぞれが独自の能力を持っている。そういった独自の能力を生かせるような仕組みがあれば、どれだけ人はのびのびと生きることができるだろうか、どれだけ社会は活性化されるだろうか。
僕が日本に帰ってきて一番強く感じることは、そういった個々の能力を生かすという考え方が非常に弱いということ。みな決められたルールにのっとり、決められたやり方で、決められたしゃべり方で、自己を表現しなくてはいけない。果たしてそれは本当に自己を表現しているのだろうか。
僕が中学校時代に不良仲間に勉強を教えていたけど、それは素晴らしいことだと思う。(自画自賛でごめんなさい)
別に、不良生徒のための特別クラスを設けなくてもいい。不良生徒にも仲間がいて、共に勉強すること、それぞれがそれぞれのペースで勉強すること、そういった価値観で教育を行うことが重要。
日本は全体主義が強い。Totalitarianismという。
基本的な価値観は、「官」とか「お上」が承認して初めて価値観になる。
別に世間一般で認められなくてもいい。小さな町の路地裏で細々とやっていることでも、そこに内包されている新たな価値観や手段が価値のあるものであるなら、そこがスタート地点である。
以前から言っているけど、日本は暗黒時代を生きているようだ。みな同じ黒いスーツで、冬になれば皆同じコートをはおる。暗黒時代の肖像画を見ているようだ。
いいじゃないか、いろいろやれば。もちろん、いろいろやっている人もたくさんいる。
しかし、とても窮屈な思いをして、いろいろやっていることは確かだ。
僕の中学校時代の不良友達がそうだった。
アメリカに行ってびっくりしたことは、大学で優秀な成績を収める学生の考え方や気質は、僕の中学校時代の不良友達のそれとそっくりであったこと。想像力豊かで、自律していて、責任感が強く、自分の考えに正直。
そして、そういう人間が、リーダーシップを持ち、社会に貢献していく。民間の活力が高まる。
とても生き生きして、のびのびした社会である。
日本は、そういう人材の芽を摘んでしまっているように思う。
コミュニティ・オーガナイザーはまさにそうした多様な人々の援護者である。ソーシャルワークとは人を助ける仕事ではない。人がのびのびと生きられるような基盤づくりをし、援護する役割である。
ルネッサンスの開拓者である。