2006-10-17

Willingness

「やる気」というのかね.Will Powerなどという表現もあるけど,つまりは心からの意欲です.
あくまでも「意欲」であって,「欲」とは若干異なる.つまり,willはdesireやneed,want,lustとはまた別格のもの.何かが満たされていない状態を補うためのエネルギーや行動ではなく,理想や福祉,QOLといった現在の状況をより一歩前進するためのエネルギーや行動と考えられる.もちろん文脈や使い方によってはdesireやwantと同じようなニュアンスを持つこともあるけれども,多くの場合,以下のような文脈で使われる.
I am willing to help you out.((私はあなたを)手伝う気満々ですよ.)
I was counting on your willingness to be a part of this project.(君のやる気なら,きっとこのプロジェクトに参加してくれるものと信じていたよ.)
他にもwillは未来系の構文に用いられるけれども,それはつまり,未来に向かって行動を取るという意志のようなものが含まれているからです.だから,確実に起こるbe going toとは違って,おそらく起こるというニュアンスなわけですね.
なぜ今回はそんなwillingnessの話をするかというと,COとは人のwillingnessをどれだけ開放できるかが鍵となるからです.willingnessはボランティア精神に似ているかもしれないけど,ボランティア精神にはどこか利他的・博愛的なニュアンスが含まれていて,本心から臨んでいないように捉えられることが多い.本来,volunteerとwillingnessは同義語なんだけどね.
volunteerというと特に行動を意味することが多い.一方willingnessは何度もいうけれども,意志の部分である.つまり,例えば阪神大震災の時に実際にvoluntaryな行動を取って,被災地に駆けつけた人が多くいたけれども,行動を取らなかった人の中にも何かをしてあげたいという意志,つまりwillingnessを持った人はたくさんいたと思う.つまり,こうしたwillingnessをvolunteerに変えるお手伝いをすることで,多くの人は自分のwillingnessを開放することができる.
未来に向かって建設的な行動を取りたい.問題を抱えている人の生活を支援したい.社会に溢れている問題を解決するプロセスに自分も参加したい.こういった意志の開放をお手伝いするのがコミュニティ・オーガナイザーの仕事なわけである.
人の心の奥に眠っている意欲の芽が出るまで石の上に座って待つということもありだろう.
または,本人たちも気がついていない意志や意欲という種に栄養のある土を与え,水をやることで発芽させることも一つのアプローチだと思う.
ここでいう栄養のある土とは情報で,水とはコミュニケーション(ダイアログ)だろう.
例えば,日本では少子化が問題となっているが,それに対して当事者の20代・30代の人間はまったく問題意識を持っていない.「しょうがない」と思っている.子どもを作り育てるという生物としては自然な行為であり,社会的にも夫婦間における自然な行為として認識されている.政治的にも奨励されているし,経済的にもプラス効果があると思われている.もちろん,子供を持つかどうかは各々の選択であるが,その選択は果たして本心からの選択なのだろうか.忙しい毎日,子供の教育費の問題,ストレス社会における希望の欠落など,様々な理由から若い夫婦の間で子どもを作るという「意欲」の種が深い土の中に埋もれてしまっているのではないだろうか.
少子化の問題を情報とコミュニケーションで解決できるとは思っていない.しかし,もし当事者に変革を起こすという意欲があるのなら,それは可能だろう.willingnessをどのように開放することができるか,そのお膳立てをするコミュニティ・オーガナイザーの手腕にかかっている.そのお膳立てをする上で制度や政策は有効な道具となる.しかし,そこに当事者のwillingnessが伴わない限り無用の産物となろう.まるで,芽の出ないトマト畑の支え棒のように.
ちなみに,それじゃあ,どのように人のwillingnessを開放するお手伝いができるのかを知りたい人は,まずPaulo Freireの"Pedagogy of the Oppressed"(邦題:被抑圧者の教育学)を読んでみてください.

2006-10-09

The True Leadership

あなたの身の回りにリーダーはいますか?
こういった質問をしたときに、日本人はどのように答えるのだろうか。まず、リーダーという言葉自体がぴんと来ない人も少なくないかもしれない。世間一般で考えると、政治家だったり、経済界やメディア界の権力者だったり、カリスマ的な芸能人や有名人だったり、そんなところだろうか。
身の回りで考えると、 自分が所属している集団(会社や、学校や、趣味のグループや地縁組織)の代表者だったり、先輩だったり。地域の顔のような人や、町内でも有名なおじさんやおばさんなど。何をもってして、誰をリーダーとするかはその人次第だろう。
あなたはどういう人をリーダーと考えますか?
この質問はどうだろうか?きっと日本におけるリーダーのイメージは(いや、日本に限らずだけど)男性で30歳以上、頭が良くて、カリスマ性があって、厳しさを兼ね備えていて、鋭い目をしている。黒髪短髪とか。西郷隆盛みたいなイメージを持っているけど、それは僕のイメージかもしれない。でも、少なからず、日本における共通のリーダーのイメージというものは存在するのではないだろうか。このイメージはどこから生まれてきたのだろうか?西郷隆盛のような歴史的人物とそれを伝える教科書や本からか。マスメディアからか。親から子へ語り継がれてきたものか、それぞれの経験から培われたものか。僕が西郷隆盛のイメージを持っているのは、きっとマスメディアの影響のように思う。映画やテレビによって作られた価値観ですね。こんなところまで、メディアというものは影響を与えているんだからMedia Literacyの問題は深刻だと思う。そんでもって、こうしたメディアによる影響は我々の根本的な価値観を形成してしまっているし、個人的には男女平等という価値観を強く持っている(と思っている)僕でさえも、リーダーといったときに(ちなみにここではポジティブな要素を持ったものとして)、まず最初に持つイメージは男性のイメージなわけです。これは、女性にとっても同じことが当てはまるのかもしれないね。
まぁ、今回のコラムで僕が言いたいことはMedia Literacyの問題ではないので、本題に戻ります。
つまり、ポジティブな意味での「リーダー」と言ったときに我々の想像力はえらく乏しいわけで、さらには、リーダーのイメージでネガティブなものとしては、自己中心的、権力者、勝ち組、いい顔しい、目立ちたがり屋などが挙げられると思う。つまり、リーダーに対してこんな偏った狭いイメージを持ってしまっているがために、身の回りにもリーダーがいないし、ましてや自分がリーダーシップを発揮するなんてことはもってのほかなわけである。まぁ、こういう体質の社会からでも少数のリーダーは出るかもしれないけど、多くのリーダーによる創造力に溢れた社会形成みたいなものは無理でしょう。アメリカの大統領がリーダーのfalse imageを作り出してしまっているのは、大統領のせいでもなんでもないわけで、そういった土壌を作り出してしまっている我々すべての産物と考えることができると思う。まぁ、そのイメージに甘んじている「なんちゃってリーダー」には元々リーダーとしての素質はないんだろうけどね。
つまり、本当の意味でのリーダーが機能する社会って言うのは、5人に一人か、最低でも10人に一人くらいがリーダーの社会だと思う。ここで言う本当のリーダーとは、自分の役割を理解した上で、周りとの相互関係の上で、全体にとって最も必要とされていることに対して行動が取れる人のことである。この行動とは、一人で取る行動かもしれないし、周りの人間を巻き込んで取る行動かもしれない。そこらへんのことも、5人に一人がリーダーシップを発揮すれば、あうんの呼吸で行動につながるだろう。一人、気張って人前でありがたいお話をすることだけがリーダーではないわけだ。
しかし、多くの人は、それじゃあどうすれば5人に一人がリーダーの社会に変えられるのかと思うだろう。頭では分かっても、現実としては難しい。自分ひとりでは、どうすることもできない。COとはそういうことを具体的に考え、行動を取る、そういうことなんです。所詮、5人に一人がリーダーの社会なんてありえないといって、端から諦めてしまっていたら、可能性は0になる。それだけのこと。
COを学んだ人はみんなリーダーになるかというと、答えはYesだろう。それは、真の意味でのリーダーで人を率いるという古典的なリーダーではない。たくさんの人間がリーダーシップを発揮できるように土壌を整えることがCOで考えるところのリーダーの行動である。