2005-03-14

Community Building

今日は僕の働く団体のコミュニティ・ビルディングに関するミーティングに参加した。何でこうしたミーティングを行うことになったかと言うと、最近うちの団体が抱えている問題からきている。問題と言うと、語弊があるかもしれないが、セツルメント・ハウスとして30年以上地域の福祉問題に携わってきたFHCHはそのミッションにもあるとおり、地域の住民のつながりによる、お互いを助け合い、それぞれが成長できるような環境のコミュニティ作りを、一つの大きな価値観としてきた。つまりは、コミュニティ・ビルディングである。1990年代からコミュニティ・ビルディングという考えが、COの世界で、より注目されるようになった。これは、Robert Putnamの提案するソーシャル・キャピタルという概念が基本となって発展してきたものだけど、要は、コミュニティを基盤として活動するにも、そのコミュニティが崩壊していては何もできませんよってことで、まずは、その崩壊したコミュニティを作り直すような活動が必要なのではないかと言う考えなんだな。セツルメント・ハウスは、まさにコミュニティ・ビルディングを行って発展してきたわけだ。しかし、近年セツルメントを含めたソーシャル・サービスの供給体は事業を中心とした運営に変わってしまい、コミュニティ・ビルディング的な活動が欠けているという現状がある。そこで、政府や財団などによる補助金や助成金に対して、コミュニティ・ビルディングの要素を踏まえた活動に対する助成の仕方があるのではないかということで、今回のミーティングに至ったわけだ。

ただし、これは、政府や財団に対する反論や意見といったReactiveなものではなく、自分たちが考える、コミュニティで必要とされている活動を進めていくための、自分たちの活動を自分たちで評価できるような指標やモデルの形成を行うと言う、Proactiveなものであった。

そこで、それじゃあ、いったいどういった活動がコミュニティ・ビルディングにおいて最も効果的なんだろうといったような話合いが行われたわけだけど、これが、なかなか一筋縄ではなかった。実際に事業を展開しているときは、あれこれと、コミュニティ作りを行う上での重要な、細かい要素のようなものが考えられるわけだけど、それをある程度普遍的な活動指針として挙げようと思うと、なかなか難しいものだったりする。だから、ソーシャル・キャピタルの研究は迷路に迷い込んでいる感があるように思われる。

そこで、一人の職員が、会議の中心である、FHCHの内務大臣(Associate Director)にいったい何がFHCHでこのようにうまくいっていると思うかを尋ねた。ちょっと、考えた末、彼女の答えは、FHCHで働くワーカーの層の厚さからくるものだと思う、というような内容だった。彼女は、20年ほど前に我が母校Hunter College School of Social Workを卒業し、一年間行政の仕事をした後、FHCHで勤務してきた。彼女を筆頭に、FHCHにはHunter出身のソーシャル・ワーカーが10人ほどいる。それも、17年前に卒業したものや、15年前、10年前と、歴代のインターン実習生がそのまま就職しているパターンがその殆どで、僕がその中の最年少と言うわけだ。Hunter College School of Social Workのディーンをもってして「FHCHはHunterの西に位置する分館だ」と言わせるほど、密接な関係であり、それだけの人材を育ててきている。

コミュニティ・ビルディング活動はその人材をもってして成す事ができる、というような答えでは、政府や財団は納得しないと思うが、コミュニティ・ビルディングを行う上でのワーカーの地域に対する心構えや、その団体の抱えるミッションと、その遂行度などは、ある意味では、確実にコミュニティを形成するような指針となるようにも思われる。今日では、団体の透明性や先駆性、柔軟性、開放性などが求められ、何十年も勤続しているスタッフを抱え込んでいる団体は、フットワークが重いように受け止められがちだが、コミュニティの崩壊が叫ばれる今日、何十年も、同じ理念を持って地域へと影響を及ぼし続けているセツルメント・ハウスの意義のようなものを再び見出すことは大切なんじゃないだろうか。

2005-03-09

NY市アドボカシー・デイ

今日は寒かった。最高気温が摂氏0度くらいで、さらに風が強くて5分外にいるだけで骨の芯まで冷えた。そんななかNew York Immigration Coalitionが主催したImmigrant Advocacy Dayうちのプログラム参加者20人ほどを引き連れて参加してきた。NYICのメンバーの中でもアドボカシーのメインプレイヤーであるFHCHは引っ張りだこで、 午前中のタウンホールスタイルミーティングではディレクターがImmigrant Opportunity Initiativeと呼ばれるNY市の予算に関して話し、そのあとの集会、議員とのミーティングでも他のグループを代表して発言した。
まぁ よくあ Advocacy Day又はLobby Dayってやつで、市が予算を決めるこの時期になると決まって僕らのようなCBOは市庁舎やら、州都に参加者を送り込んで、来年の予算を確保する。まぁ、 挨拶 代わりのようなものであって、年によっては結構白熱したりもする。
回僕が訪れたブルックリン地区代表の市議員さんは、100キロはあるであろう 巨漢の持ち主で、昨日の雪のせいもあってか、泥だらけのコートに汚い靴、大 きく飛び出たおなかを無理矢理スーツのズボンに押し込んでいるその容姿はとても市の政治を担っている人物には見えなかった。話を始めてみると、これがな かなか頭の切れる人物で、又、自分の知らない問題事項は素直に認める気持ちのいい人だった。たいていの移民コミュニティーはJetsスタジアムのマンハッタ ン移転に反対しているわけだが、その代表である僕らを前に彼は堂々とスタジアム移転サポート宣言するなど、自分の政策に相当自信を持っている感じがした。まぁ、政治家とはそういうものか。
それよりも面白かったのは、 彼が部屋に入ってくる前に買ってきたコーヒーの紙コップにBloombergとプリントされていたことだ。これは市長が経営する株式情報メディア会社の広告で、市庁舎はウォール街から歩いて数分に位置するだけにBloombergの広告を目にすることは不自然ではないが、これは市長が意図的に自分の宣伝も兼ねて していることと思われる。ブルームバーグ市長は堺屋太一氏の「平成三十年 に出てくる織田氏を髣髴させるビジネス界出の政治家で、自分の資金を使いながらなかなか大胆な改革に出ている。昔は家系が政治に精通していないと政治の道 に関わりにくい社会だったが(今でもそうか)、資本主義経済が飽和状態になってきた今日、お金があって始めて政治に関われる社会になったようで、ブルーム バーグ氏はその象徴のような人だ。何よりも共和党(もともとは民主党支持者だが)の市長の会社の広告入りカップを手にした民主党の市議員さんの絵が風刺画 のよ うであまりにもこっけいだった。
ちなみに余談だが、僕はこういった議員訪問があって始めて成り立つ民主主義のあり方に対してちょっと疑問を 感じ る。さらには市庁舎前で氷点下の中、集会を 開いて初めてメッセージが伝わるという民主主義に対してもおままごととしか感じることができない。でもみんなこんな茶番が大好きみたいで、ますますイ リュージョンの中に引き込まれる気がしてならない。

2005-03-05

アクティビスト vs コミュニティーオーガナイザー

なんだか、この度CO サイ ト立ち上げに向けてCOに関するリンクなどを調べていたんだけど、COのカテゴリーに入れたいものとちょっとCOからずれてくるものとが出てきた。あくま でも個人的な価値観から来るが、その多くはアクティビストものとコミュニティーオーガナイジングものとに分けられると思う。よって今回はこの両者の違いに ついて僕なりの見解を書いてみようと思う。
一般的にアメ リカでコミュニティーオーガナイザーと言うと、アクティビストのイ メージが強い。現にそういった反応をよく受ける。僕の中でのアクティビストの概念とは、何か強く信じるもの、反対するもの、擁護する問題等に個人的な問題 意識をもち、それに対して個人の意思 主張し続ける人、のことだと思う。例えばPeace Activistなどと言う場合、平和に対しての問題意識が人一倍強く、戦争の話題になると我こそはと平和主義を主張し、戦争反対運動やら、平和集会やら を催したりと、その問題に対して実際に何かの行動に出る人を指して使われる言葉だと思う。これは一人の人間として民主化された社会の中で生活するうえでは 大切なことであり、特にアメリカでは人々が行動を起こすことで歴史が変わってきた背景があるだけに、アクティビズムは無条件の賞賛のようなものを受けてい る。
このアクティビズムは無論コミュニティーオーガナイ ザーにも必要な資質ではある が、それだけではCOは語れないと思う。決して学術的なCO論だけには収めたくは無いが、COにはいくつかの基本概念がある。まず一つには、個人の問題意 識ではなくコミュニティー全体の問題意識を第一とするというのがある。コミュニティーにおけるニーズ調査をして初めて、そのコミュニティーに対して働きか けることができる。第二に、計画性を持って 題に対処する。もちろんこれは住民参加型の計画こそ望ましいく、コミュニティーのニーズを基に、問題解決のた めの設計図を作る必要がある。これは以前も書いたが、ReactiveProactiveの違いになると思う。何か問題が発生したことに対して計画性を 持たずにがむしゃらに行動に出ても、勝算は低い。三つ目には、ビジョン くる。これは二つ目のポイントとも深く関係してくるが、最終的にどこにたどり着き たいかが明確でないと、ただの理想主義になってしまう。コミュニティーオーガナイザーがアクティビストのように行動に出ずにひたすらコミュニティーの為と 試行錯誤していても、そこに明確なビジョンが欠けていたら理想家で終わってしまうと言うこと。
これって結構厳しいけど、本当の話。いくら住民主導のオーガナイジングを謳っていてもビジョン無しでは何も起こりません。ってことで、僕もそれなりに自分なりのビジョンを持って仕事に励んでいます。