2006-05-23

大橋謙策先生

今から2週間ほど前になるが、日本社会福祉事業大学学長の大橋謙策先生とお話をする機会があった。大橋先生は、おそらく今の日本の福祉界を代表する先生だと思うんだけど、地域福祉に関しても本を書かれているし、日本地域福祉研究所なるNPO団体を立ち上げて、コミュニティ・オーガナイザーの育成を具体的に進めてきていることもあり、以前から気になっている存在だった。しかし、在宅を基盤とした福祉の推進や、社会福祉士という国家資格を進めるにあたり、いまいち納得できない部分も多かったことも事実で、お目にかかる際には、僕の考えているビジョンのようなものをぶつけたいと思っていた。
しかし、これが会ってみると、どうしたものか、その人の知識の幅の広さや、福祉というものを全体的に捉え、哲学的に福祉の方向性を模索している、なんとも魅力的で幅のある人物だった。僕がえらそうに書くことではないけれども、すぐに自分と同じスタンスで、同じビジョンを共有しているのだと分かった。
そもそも僕は、自分が探求している学問が、福祉とは思わずに、ごく自然な流れで福祉の世界に入ってきた。それはきっと、NPO活動など市民活動を行っている人みんなに共通することだと思うんだけど、今日の社会構造・政治構造の中で、民主主義を実践するためには、市民社会の構築が必要で、それをひたすら模索し続けて、市民社会の構築に関する学問を突き詰めたら、そこには社会福祉という世界があり、その中でも、特に地域福祉という世界が、僕の求めているものだった。
だから、僕の中で、福祉を勉強する枠組みは、人類の文明の一歩であり、人が一つの尊い生命体として、個と他のバランスの中で生きていくことを具体的かつ円滑に進めることだと思う。そんでもって、それを本当に具体的に進めようと思うと、A市の地域福祉計画では策定のプロセスへの市民参加がどうのこうのとなるわけで、あまりにもそれに根詰めてると、自分のビジョンを忘れてしまうんだよね。
まぁ、それはいいとして、とにかく、大橋謙策という人物は、自分のビジョンを常に前面に押し出し(関西に来ていたからそれができたのかもしれないけど・・・)、そのビジョンと、現実世界で具現化することの困難さに頭を悩ませながらも、無駄な後悔や、失敗を恐れることなく、走り続けている。
大橋先生ほどになると、世に与える影響力は大きく、実際に先生のビジョンが、政策へと反映してきているし、先生の教え子の先生方が、同じビジョンを共有し、フィールドや、教育に反映させていっている。これをエリート的と見る人もいるかもしれないが、誰かがやらなくてはいけないことであり、社会の必要を分析し、自分がその必要を埋める最適な存在であると感じたのであれば、必要原則の下、大いに社会への影響力を持てばいいと思う。それを、市民社会の平等原則の下、一人の人物が権力を独占していると考える者がいたら、それは、民主主義を実現することの困難さを知らない者だろう。CO道のテーゼでも示しているとおり、この不平等さゆえに、実現困難な民主主義を成り立たせること、それに向かって実際に悩み、行動を取ること、それが、コミュニティ・オーガナイザーに求められる資質であろう。
そう考えると、またしても、この世界で、熱いコミュニティ・オーガナイザーに出会うことができた。大橋先生が培ってきた、多くの成功と失敗を参考に、大橋先生以上の知識とビジョンを持ってはじめて、民主主義のかけらをより大きなものにすることができるのではないだろうか。体をはって、自分に何ができるのかを示してきてくれた(勿論これからも、示してくれるとは思うが)大橋先生に乾杯としておこう。
ちなみに、僕はゴマをするような人間ではないので、別に大橋先生をほめていると言うつもりは無い。ただ、その人物の熱さに共鳴していると言うことだろう。

2006-05-16

ソーシャル・キャピタル研究の意義

さて、今回はちょっとかたっくるしい話にしようかな。
僕が、これから最低3年間、頭がはげる思いで研究するテーマが「地域福祉実践におけるソーシャル・キャピタルの重要性」と言うことなんだけど、うーん、、、やっぱりここで書くにはかた過ぎるかなぁ。
この研究を行おうと思った理由は、僕のコミュニティ・オーガナイザーとしての経験から来ていて、そもそも、僕がニューヨークで携わっていたINCOプロジェクトと言うものがあるんだけど、これは、ニューヨーク市内で15人のコミュニティ・オーガナイザーを雇い、包括的・協力的にCOを実践することで、市の政策に直接的なインパクトを生み出すというアドボカシー活動だったんだよね。このプログラムの資金は銀行と基金から出ていて、毎年各団体に対して5万ドル(約550万円)助成されると言うものだった。それで、この助成金を毎年ちゃんともらってプログラムを遂行する上で、半年毎に活動を評価されていたんだけど、その評価のしかたが全然気に入らなかったんだよね。
コミュニティを作り出して、コミュニティのメンバーを組織する上で、オーガナイザーはいろんなことに気を使わなくてはいけないと思う。例えば、活動に参加しているメンバーに対しての評価や、励ましの言葉、時にはお願いをすることで、より強い関係が築けたり。また、いざと言うときに、政治的な活動をするためには、日頃から、コミュニティ・メンバーが自分たちがコミュニティの住人であると言う意識を持たなくてはいけない。そのためには、メンバーが所属する母体(実際の組織ではなく共通のアイデンティティ)のようなものを用意することも、その活動の一つとなる。こうした、細かい配慮の積み重ねが、効果的なCOを生み出すと思う。そんでもって、それを別の言葉で表すと「ソーシャル・キャピタル」となるわけだ。「ソーシャル・キャピタル」は信頼、規範、ネットワークからなると言われるけれども、要は、お互いがコミュニティのメンバーであると言う意識のことだと思う。この意識を生み出すには、結構な努力と、作戦と、苦労が伴う。もちろん喜びも、同じくらいね。
僕の研究は、この「ソーシャル・キャピタル」を日本の地域福祉実践の中でどれくらい増殖することができるかというもので、そのための方法を考えると言うものです。
しかし、何でこの研究をするのか。ただ単に、僕がニューヨークで憤りを感じたからではない。
ここで重要になってくるコンセプトは「市民社会」だと思う。
市民社会という概念は古代ギリシャから始まり、西洋を中心に発展してきたコンセプトであって、民主主義の類義と理解している。今日では、政府でもなく、企業でもない第三の存在としてある意味「控除概念」として扱われている感があるが、本来は、国家に対して、個人の集合体として「社会」を形成し「自治」という「自由」を有すると共に「責任」も兼ね備えるという近代民主主義国家を説明する上では必要不可欠な概念である。
封建的な国家が成熟するのではなく、あくまでも民主的な、市民の意識の高さをもって発展する参加型の国家をして初めて可能となる真の民主化。理想論と思われるかもしれないが、その理想を追い求めるために僕の研究があると考える。
個人がAutonomyを持ち、平等な政治的権利を有する社会で、その「個」の集合体がどのように作用することで民主主義がより理想に近づくのか。地域福祉という概念の下、ソーシャルワーカーはどのようにそのプロセスを促進できるのか。熟考する必要がある。そして、可能な限り科学的なルールに基づき実証する必要がある。そういった意味での、この研究である。
今回のブログは、かなり独りよがりなものになってしまったなぁ。次回は、もう少し読者フレンドリーなものを!