2005-04-28

勝手に世界のSWアナリシス

たまたま知人を介して紹介された日本で福祉を学んだ人に、僕の母校であるハンター大学ソーシャルワーク学部 てコミュニティーオーガナイジングを学ぶことについて質問されたので、COとは、またその流れを説明しようと思い、勝手に今日の世界のSWの現状のような のを書いてみました。自分の把握していない部分は多々あると思いながらも、今の自分が知っていることを残しておくことはいいことだと思う。よって以下に記 します。せっかくブログなのだからこれを多くの人に手直ししてもらえたら嬉しいと思いながら。
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世界のソーシャルワークの形態を大きく分けるとイギリスからの流れで始まったアメリカ式のソーシャルワークとドイツを源流にして北欧に流れていったドイツ式とに分けることができると思う。
そこにはもちろん政治背景や時代背景があるわけですが、どちらも甲乙つけがたい福祉形態になっています。

メリカ的な社会福祉は住民・市民・当事者牽引型の福祉といえます。これはコミュ ニティーアクティビズム色が強く、イギリス・アメリカ型の民主主義枠組みのなか、市民が主体となって生活の質の向上及び社会的弱者の社会的地位と保障制度 向上を求めるという要素が強くなっています。ちなみに日本は戦後アメリカ的な民主主義の基盤を構え、同時にアメリカ的な社会福祉制度を広く導入していま す。
方、ドイツ型の福祉は、僕も決して詳しくはありませ んが比較的政府が中心となって福祉を 提供する形を取っているようです。特に北欧、スウェーデンの社会主義的な福祉保障制度は有名ですよね。これは、たとえば東西ドイツが合併したことなどの経 緯を経て、国の方向性としては経済的に世界をリードするよりも安定を求め、国民の生活の質の向上の方にフォーカスを持つと言う背景があって出来上がった仕 組み と思われます。日本は高度な経済成長を経て社会主義国的な福祉を擁しましたが、近年経済の落ち込みと共に、そのまま安定を求める政治よりも、国を再興する 政治に動いていると思います。これに関してはさまざまな意見があると思いますが、この方向性と共に社会福祉も変化せざるを得ないのが現状でしょう。さらに、付け加えると、2000年の社会福祉法の成立を機に地域福祉及びNPOを支援する方向で大きく動き出しているように思えます。これは、どんどんアメリカ的な当事者主体の福祉になってきてる流れと受け取れます。

の当事者主体の福祉では、たとえば障害者福祉だとしたら、障害者達とその家族が「コミュニティー」としてまとまり、福祉制度なり、社会制度なりの改革を訴 えるこ とで向上を計れます。もちろんその背後には選挙制度、代議士制があり、アド ボカシーというものが必要になってきますが、そういったことを踏まえて、大きな意味で、コミュニティー全体、しいては社会全体が向上するためにコミュニ ティーオーガナイザーが必要になってきます。日本は今まで社協が中心となって政府の代弁者として福祉会を率先してきましたが、今日、社協への政府からの資金的な援助は底打ち状態で、このままでは日本の福祉はますます低クオリティーになってしまうという見方が強まっています。
一方、アメリカでは障害者団体が70年代、80年代にアドボカシーとコミュニティーオーガナイジングを繰り広げた為、ノーマライゼーションに関しては相当進んでいますが、福祉システムが充実したカナダでは、(カナダは国民健康保険制度があるけどアメリカにはない)障害者福祉に関してはまったく遅れを取っています。これは明らかにアドボカシーがなされなかったことによる結果です。

といったように、当事者主体の福祉はコミュニティーオーガナイジング及びアドボカシー無くしては成り立たないことは否めません。
も、こういった政治的な圧力をかける以外にもTさんの言ってるまちづくり的な要 素も大いに含まれてきます。今までも社協を中心とした福祉では、コミュニティーセンターや、ボランティア活動を通じてまちづくりをしてきたわけだけど、 これからは社協以外のNPO、自治体が中心となってまちづくりをする方向性が強まると思います。
キーワードはコミュニケーションとネットワークと人間性でしょうか。
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2005-04-11

踊れ踊れ。

先週またもやNYICのアドボカシーデイに参加して、州都のAlbanyうちのプログラム 生徒たち80人ほどを引き連れて行って来た。朝の5時半に集 まって、夜は7時半までかかる一日がけのバストリップだったが、みな積極的に参加した。参加者には交通費として$10請求したが、これがなかなか涙無しで は語れないようなエピーソードを生んだ。夜中の2時から昼の12時まで魚の卸で働いている一人の生徒が、バストリップのあった前の週のある日、彼の仕事終 了後の午後の1時半にわざわざ交通費$10を払いにオフィスに来た。その日はオリエンテーションの日だったので、1時間ほど待てるかと聞いたら、魚くさい から家でシャワーを浴びて帰ってくるといったが、2時間後くらいに遅れて戻ってきて、寝過ごしてしまったと言うこと。なんとも泣かせる話だと思う。本当に みな一所懸命にアドボカシー活動に参加してくれる。
ニューヨークではよく行われるこの一日がけのアドボカシーデイ、当事者を連れて行き、州の議員 さんのオフィスを訪ね、意見を聞いてもらう。当事者たちは細 かい予算の話やら、法案の事はあまり理解していないパターンが多い。今回も、TANFファンドを特定の人口に限らず使ってくれだとか、州の教育予算をこれ くらい上げてくれだとか、当事者にとっては特殊すぎる内容を話しに言ったわけだが、そういった部分はLobbyist、又はうちの場合はオーガナイザー、が 担当し、当事者たちは各々のメッセージを伝える。
きのバスの中で考えていたんだが、英語を学んでいる最中の生徒たちが州の議員さんたちに会いに いくといって、朝の5時半から80人が集まり、特に明確な 指示も無いままAlbanyに着いて、その日のプログラムを過ごそうとしている。具体的に何をすればいいのかと不安にならないのか、かえってこっちが不安 になってしまう。ただし、皆僕らが伝えようとしているメッセージはわかっている、そしてそれぞれ何かを伝えようと言う意思を持っている。
れはダ ンスなんだと思った。行進ではなくダンスなんだと。みな踊りの踊り方はわかっていて、あとはリズムさえ提供すれば、それに合わせてそれぞれがダン スを披露するんだと感じた。日本で同じ事をしようとしても、なかなかそうは行かないのではないか。日本でやる場合、的確な指示の元、全員が同じリズムで行 進することで、最も効率のよい結果を生み出せるのではないだろうか。しかし、ここアメリカで人に行進をさせようとしてもそう簡単には行かない。まずは僕が リズムを創り出し、それに乗って思う存分踊らなくてはいけない。そのダンスにみなが乗ってきて始めて全体が効果的なメッセージを送ることができる。案の 定、いざ議員さんのオフィスに行くと、みなそれぞれに主体性を持って、誰かに吹き込まれたメッセージではなく、それぞれが心からのメッセージを議員さん、 又は代表者に伝えた。内容はべたな英語で伝えれる精一杯のものではあったが、心がこもっている分、きっと議員さんの心にも残ると感じた。
ともと Albanyへ行くこと自体、政治の上で具体的な結果を残すことが目的ではない。そこに往復6時間かけていくというその行動に意味があり、それを 定期的にすることで、議員さんの良心に訴えると言うものだ。よって、その話す内容、提案は大切ではあるが、それ以上に人間としてのコミュニケーションが大 切になってくるわけである。
そのコミュニケーションは軍隊 のように指示を与えられた人間によってもできるが、リズムに乗ってメッセージの波をぶち まける方が効果的であるだろう。何よ りもその方が参加者たちは達成感が得られる。オーガナイジングとはそういった人間の感覚的な部分(心の部分)をうまく扱わなくてはいけないと思う。これを 欠くと、理屈だけの政治的なやり取りになってしまって、主体性や、リーダーシップなどの要素の欠けた発展性の無いものになってしまう。
ダンス・ダンス・ダンスってことだね。