2006-03-31

社会貢献って?

いろいろあって,4月から大阪府社協社会貢献支援員として働くことになった。そのいきさつはいいとして,とりあえず,現場に入るということは,さまざまなことを学べるし,影響を受け,考えさせられる環境に身をおけるわけだ。実際に,まだ仕事は始まっていないが,研修を兼ねて,支援員の方のお話を聞いたり,会議に出させてもらったりしていると,早速いろいろな学びがあった。

社会貢献支援員の仕事は,大阪府内の老人福祉施設部会が新たに始めた,コミュニティ・ソーシャルワーカーを中心とした,社会貢献事業のサポート的役割であるが,この事業を一言で説明すると,「制度の間を埋める活動」となる。既存の福祉制度では解決,または対処できない今日的な社会問題が多くなってきている中,実際に福祉の現場にいるソ?シャルワーカーが柔軟に対応して,必要であれば,特別に集められた基金を使って金銭的な支援も一時的に行うというものである。とても画期的な事業であり,今日的社会問題の氷山の一角を解決するような仕事であると思う。そして,そうした氷山の一角は,社会の課題を浮き彫りにしてくれるものと思っている。

それにしても,社会貢献事業とは面白いネーミングと思う。というか,的を得たネーミングといいたい。福祉事業者や福祉従事者は,その仕事内容自体が「人のため,社会のため」の仕事であるため,仕事の幅を超えた更なる社会貢献活動など求められていないように思われるが,そうした福祉に対する見方も近年変わりつつある。20世紀後半にみられた「措置型」の福祉は「契約・利用型」の福祉へと移行し,福祉事業者にも経営能力が求められ,まだまだ規制はあるにせよ,より市場原理の介入が進んできている。そうしたなか,規制緩和により,福祉施設運営母体は社会福祉法人に限らず,民間企業の参入も進み,その利益をより社会に貢献するために利用するということは自然なこととなった。福祉(人々の幸福の向上)を牽引するプロフェッションとして,率先して社会貢献事業を進める大阪府の老人福祉施設部会には,いやはや感心させられます。模範ですね。

それにしても,「社会貢献」とはなんだろう?よく,ボランティア活動は社会貢献活動と言われるけど,社会に貢献する方法はたくさんあると思う。何よりも,社会に貢献するためにはまず1)社会の一部であるという認識が必要で,さらに,2)社会の必要の把握,そして3)行動という順序があると思う。ボランティア活動が一般的に評価される所以は,この三段階のステップの最終ステップであるため,最初の二つのステップが成り立っているという理解の下にある。これは,たいていのボランティア活動において,正しいと思う。また,最初の二つのステップが欠けていても,ボランティア活動を通して,最初の2ステップを自然と身に付けられることもある。おそらく,ボランティアの価値とは,実際の活動における成果と,活動を通して得ることのできる社会性との両方にあるように思う。

さて,話はそれたが,ボランティアに限らず,社会貢献とは上で挙げた三つのステップの上に成り立つものと考える。社会の一部としての認識のない社会貢献は,実は個人貢献だったり,企業貢献だったりと,えらく利己的になってしまう。また,社会の必要が把握できていなかったり,社会の必要を無視しては,社会貢献とは考えにくい。でも,ここで難しいことは,何をもって,社会の必要を満たしているかということである。個人主義色の強い今日では,人々が求めていることが必ずしも社会全体の向上につながるとは限らない。例えば,車で人々が移動することは必要だが,環境汚染や,公害を考えると,車での移動は控えたほうがよいとか。また,技術の進歩や生活習慣・文化習慣によって,必要原則が著しく変化することもある。こう考えると,ますます「社会貢献」を定義することが難しくなってきた。大阪府での社会貢献事業も,人によっては「社会貢献」と思わない人もいるかもしれない。でも,そんなこと言っていても,何も始まらないから,社会性を持って,行動することに限るね。

2006-03-25

団塊の世代

先日,知人からとても印象的な話を聞いた。あるアルコール依存症の日本人男性が,生活保護の申請手続きをしようとしていたらしい。この男性は,両親のそばを離れて,自立生活をしようとしながらも,なかなかうまくいかず,自分で会社を立ち上げるもうまくいかなかった。格差社会といわれる今日,彼の人生は「負け組」と見られるかもしれない。しかし,彼に最初に負け組の烙印を押したのは,彼の父親であった。取得が比較的簡単なある資格を取った男性が,両親に資格取得の報告をしたところ,父親から,「そんな資格くらいしか取れないのだから,お前はいつまでたっても,だめなんだ!」と一蹴されたらしい。きっと,この男性としては,自分の努力を認めてほしかったのだと思う。資格どうのこうのよりも,何よりも親からの精神的サポートを請けられなかった男性の心の傷は深いと思う。ある意味,この父親の一言が彼のその後の人生を大きく左右するものとなったように思える。

この父親が,団塊の世代かどうかはわからない。おそらく,団塊の世代よりは年配だと思うが,戦後の日本を築いてきた世代であることは間違いない。僕は,今日の社会的問題の多くは団塊の世代の目から見た問題であると思う。戦後の日本の歴史は団塊の世代と共に歩んできて,今まさに団塊の世代と共に心中しようとしている。団塊の世代の価値観が,日本の価値観であり,新たな価値観はいまだに排除されてしまう社会構造にある。

団塊の世代は,戦後の何もない時代から,さまざまなものを生み出し,作り出し,日本を盛り上げた。それは事実として何の疑いもない。ただし,日本のビジョンは,その当時団塊の世代が創り出した,ある意味カタルシス的な,泥沼からはいつくばってでも,ご飯をたくさん食べられる生活を求めるような,生活の質の向上というよりは,マテリアル的欲求を満たすような,そんな幸せ絵巻だったような気がする。

この価値観は,戦後の何もない状態の上に成り立っていて,その当時得られなかったものを得るという,Missing Pieceを埋めるというカタルシス的なエネルギーから来ている。これと同じ価値観を,その幸せ絵巻の中の登場人物として生み出された,団塊ジュニアの世代が引き継げるかというと,困難であると思う。幸せ絵巻の登場人物のルーツは,あくまでも幸せ絵巻であり,団塊の世代が探していたMissing Pieceが最初から埋まっている状態にある。そうした団塊ジュニアに団塊の世代と同じ価値観を求めるという発想自体が無理であり,不幸を生み出してしまう。

今日的社会問題は,団塊の世代の目を通して「問題」と位置づけられているが,当事者の視点(今回の話では団塊ジュニアの視点)が入っていないように思える。というよりも,社会の価値観=団塊の世代の価値観であるがために,偏った意見が生み出されている。この価値観も少しずつ変わってきているが,次の世代が奮起しない限り,又は,絶対多数決で団塊の世代プラスマイナス10年くらいが少数派にならない限り,変わらないものかもしれない。民主主義の落とし穴にうまくはまってしまった形である。結局,僕ら日本人は,いまだに民主主義を上手く使いこなせていないように思える。

2006-03-16

COにとっての政策とは何だろう

先週、同志社大学で行われた日本社会福祉学会の政策・理論フォーラムに参加してきた。4月から同志社大学の博士課程後期へ進学が決まり、ついでに日本社会福祉学会日本地域福祉学会に入会し、さらには今回のフォーラムを取り仕切っていたのが、僕の指導教授ということで、参加必須条件が整いすぎていたので、参加してきました。今日の日本における社会福祉の全体像を学ぶにはうってつけでした。
まぁ、今回のフォーラムが「政策・理論フォーラム」というだけあって、近年の社会福祉政策の動向を踏まえながら,高齢,障害,児童,貧困という対象分野別,地方分権,制度改革,社会的排除という今日的キーワード別に,それぞれのフィールドで日本の社会福祉を引っ張る主要な先生方の報告となった。
その中でも,地方分権については関西学院大学の牧里先生が,地域福祉計画を軸に政治的なインパクト,システム化への影響,自治体行政への影響について話された。なるほど,今まで政策という切り口で地域福祉計画を考えたことがなかったけれど,確かに地域福祉計画とは福祉の理念を地域レベル(自治体レベル)で,住民参加型を促しながら進める,ひとつの政治的な方法であるということを学んだ。
地域福祉計画は,英語で言うところのCommunity Planningに当たると思うんだけど,これは,住民や当事者が社会政策の決定プロセスに参加することで,より民主的な政治を促進するというCOの一手法である。しかし,ここで言う政治とは英語ではpoliticsなわけで,小文字のpのpolitics,つまり,広義の政治なわけだ。それと反対に,狭義の政治(Politics)とは代議士制で行われている政治を指して用いられる言葉である。日常会話で「政治」というと狭義の政治を指して用いられていると思う。狭義の政治は絶対多数決の要素が濃いため,対立的な考えになってしまう。政治の話になると,解決の見えない意見のぶつけ合いになりがちだが,それは狭義な政治における解決を求めているからであり,民主主義の複雑さを無視したような考え方にも取れる。そうした,政治的な決議を経て決められた政策は,当然すべての国民(市民)が満足するようなものではない。
こうした今日的民主主義政治の役割をより強化するため,つまり,より広義の政治に近づけるためには,住民・当事者の参加が必須である。そういった意味では,COにおける住民の組織化からエンパワメント活動,Community Planning,Community Developmentなどの手法はそれ自体が,広義の政治の重要な要素であり,社会政策が機能するためには絶対不可欠な条件であると思う。つまり,COにとっての政策とは参加を意味し,実践を意味し,賛同と反対を意味するものである。